みなさんこんにちわ
安井宏@定年退職ブログです。
内館牧子さんのベストセラー小説「終わった人」が映画化されたので見てきました。
この映画は定年を迎えたエリートサラリーマンが定年後の生活に馴染めず、恋をしたり、 IT 企業の経営をしたり、はたまた故郷の人達と交流したりと、定年退職後の現実に抗い続ける一方、新しいやりがいをもった妻との間に隙間風が吹き、最後には結婚からの卒業「卒婚」を言い渡されてしまうといったことを、コミカルに描いています。
もちろん映画なので、かなり定年退職後のことを誇張して書かれていますが、エリートだったかどうかはともかく、会社という大きな装置を背中に背負って肩書きで仕事をしてきた人にとって、定年退職するのはものすごく大きな落差であることを、改めて考えさせられました。
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東大卒で大手銀行に入行したエリートサラリーマン
舘ひろし演じる田代壮介は東大卒で大手銀行に入行してエリートサラリーマンの道を歩いてきたものの、途中で出世コースから外れ、最後は出向先の子会社で定年を迎えました。
一方で黒木瞳演じる妻の千草は、美容師として働きながら家庭を支えていたものの、自分の美容室を持つ夢を夫の定年退職後に実現します。
定年退職したその日、家族が集まって長年の苦労を労ってくれたものの、定年後は1日中することがない時間を壮介は持て余し悶々と日々を送ります。
公園・図書館・スポーツジムは老人だらけ
公園や図書館に出かけてみたものの老人だらけで、自分はこの人達と同じ老人ではないと、自分を客観視できない壮介は苦しみ、妻に愚痴をこぼします。
愚痴を言う夫に対して妻の千草もだんだん嫌気がさしてきます。
妻の方が自分の美容室を持つための夢を叶えようとまっしぐらに上昇する一方で、壮介は昔のことを懐かしんで愚痴を言うばかりで、やがて二人がすれ違い始めるというのはどこにでもある話です。
映画自体は他の観客も定年退職以降の人達だったようで、途中で笑いも起きるなどエンターテイメントとしてはよく仕上がっていましたが、色々と考えさせられるところもありました。
ジムにいるシニアたちの一人の役で、原作者の内館牧子さんが出ているのも、映画のスパイスでした。
「終わった人」というタイトル
原作者の内館牧子は、インタビューで、「終わった人」というタイトルは、すでに決めていた。と述べています。
サラリーマンというのはエリートであろうがそうでなかろうが、起きている時間の多くの部分を仕事関係で過ごしています。
外国から見たら奇異な目で見られる日本の長時間通勤もサラリーマンならではのものです。
もちろん職場の人間関係は、場合によっては時間終了後も夜の飲み会や週末のゴルフなどで続きます。
自己実現というのも、本来であれば内面的なものであるのに、仕事に紐付いているのが日本のサラリーマンでしょう。
それがある日を境に終わるという現実と、それを頭で理解しつつもいまだ本心からは受け入れられない自分との葛藤に苦しみまだ着地できないのが「終わった人」なのでしょう。
定年退職ということ
60歳あるいは65歳という年齢できっちり線を引かれ、 会社との縁がプツンと切れてしまうのが定年退職である。
もちろん、これはひとつの労働契約であり、早い時点からそういうふうになるのは目に見えています。
会社に文句を言ってしまっても今更始まらないのは言うまでもありません。
雇用契約上の話は別として、整理がつき難いのが自分の心の中です。
60歳代というのは現代の 人にとってはまだまだ若く、仕事の能力も若い頃のような新しいことを覚える能力はないにしろ、培ってきた経験があり、トラブル対処や取引先とのコミュニケーション能力などは若い人にも劣りません。
しかしながらある日を境に、もういらないと言われるのが定年退職です。
現在、年金の支給開始が徐々に遅らされていて、満額の年金をもらうのはほとんどの場合65歳になっています。
60歳で多くの企業が定年とし、その後再雇用などの形で仕事はあるものの、これまでの本格的な第一線の社員ではなくなった扱いになるのが悲しいかな定年退職です。
まとめ
会社と自分との間の関係が大きく変わる定年退職。
その間での心の葛藤を絶妙にタッチで描いたのが今回の映画です。
いかにして自分の心の中の整理をつけるか、一つには時間が必要でしょう。
また妻・子供と言った家族だけではなく、壮介が故郷青森の旧友たちに励まされたように様々な周りの人間関係があることが自分の心の区切りをつけるのに役に立つことがよくわかります。
小説でヒットしたこの「終わった人」ですが、映画になった機会に改めて多くの定年退職世代の人達に見てもらいたいものです。